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TOKYO RAMEN かいか



出典:東洋経済ONLINE
2025/04/05 [URL]

「毎日2時から23時まで労働」「毎年のように腰を外した」…。
7年連続「食べログ百名店」に選出も、体を壊して閉店した店主の"意外な再出発"


2025年2月20日、東京・中野に注目のラーメン店がオープンした。その名は「TOKYO RAMEN かいか」。JR・東京メトロ・中野駅から徒歩6分。中野ブロードウェイのすぐ近くにできたお店だ。
このお店は八王子にあった名店「ほっこり中華そば もつけ」の店主・岡田智也さんがプロデュースしたお店として話題だ。

7年連続百名店になるも、閉店となった「もつけ」
「もつけ」は2016年に創業。八王子で7年連続食べログ百名店に選出された名店だ。
鶏と魚介メインのスープで、魚介の効き方がとにかくシャープ。無化調(うま味調味料不使用)ながら素材のうま味を重ね合わせ、しっかりとした旨味で個性までも感じる至高の一杯を提供していた。
愛されたお店だったが、岡田さんの体調不良で2024年5月に惜しまれつつ閉店していた。「かいか」はそんな「もつけ」が帰ってきた、と話題で、待望のオープンとなった。岡田さんはどんな思いでプロデュースを決めたのか、話を聞いた。

無化調のラーメンのおいしさに震えた
岡田さんは青森県生まれ。その後多摩エリアで育ち、17歳から中華料理の道に入る。修業していく中で、20代で独立してお店を出したかったが、景気が悪くその夢はかなわなかった。
中華料理は食材の種類が多く、厨房の機器にもお金がかかるため、お店を出すには巨額の初期投資が必要で、何かほかに道はないかと模索をしていた。
この頃、八王子にある「煮干鰮らーめん 圓」のラーメンに出会う。ここの提供している無化調のラーメンのおいしさに震えた。こんなラーメンを作りたいと思った岡田さんはラーメン店で修業を始めた。
2015年、雇われのラーメン店長をしていた頃、交通事故に遭い腰を悪くしてしまう。改めて体が資本だと思った岡田さんは、早く独立してお店を始めようと決意する。こうして2016年3月「もつけ」はオープンした。38歳というかなり遅い独立だった。
毎日60人から70人のお客さんが来てくれて、お店をやりながら自分の作りたい味に近づけていった。12月には初めて100食を突破し、母と喜んだ。ここからは繁盛店となり、各地からお客さんが集まる名店になっていった。
「無化調で作っていますので、毎日の食材のブレで多少味は変わってきます。ですが、毎日届く食材で最高のものを出そうと自分に嘘をつかずに作ってきました。それがそのまま評価につながったのだと思っています」(岡田さん)
しかし、店が繁盛していくにつれ、体が悲鳴を上げるようになってきた。毎日夜中の2時から仕込みを始め、営業終了後片付けを終えた頃には23時になっていた。
ほとんど寝ずの作業で、一日一日の作業で精一杯になっていて、スタッフも雇っていたがなかなか育たず、将来のことなどまったく考えられなかった。

体が限界を迎え、閉店を決意…その後の展開
体はボロボロになり、毎年のように腰を痛めるようになって、ついには手足がしびれるようになってきた。自分は何のために働いているのかわからなくなり、一度店を閉めようと2024年5月、閉店することにした。
「もつけ」の閉店を聞き、ラーメンファンや地元客は大変悲しんだ。もう一度あの味を食べたいと多くの声が上がっていた。その頃にM&Aの話が上がってくる。
グループ会社にM&Aの会社を持つグループ代表の水谷佑毅社長は、「もつけ」の承継の話を聞き、自ら事業承継をすることに決めた。ラーメン店の事業承継は初の試みで、とにかく岡田さんの思いに共感したという。岡田さんは迷った。
「『もつけ』という屋号に並々ならぬ思い入れがありますので、それをそのまま承継してもらうというのは難しい選択でした。私がラーメンを作ってこその『もつけ』なので、ここは守りたいなと思ったんです。たとえ、受け継いだ後においしいラーメンを出したとしても必ず私と比較されます。それは違うなと思いました」(岡田さん)
こうしてM&Aを諦めかけたその時、新しい話が湧いてくる。新しいラーメン店を作るのでその味づくりをしてくれないかという提案だった。これならできるかもしれないと岡田さんは直感的に考えた。
「一気に夢が広がりましたね。職人だけやってきたら知りえなかった世界です。今までは要の部分をほぼ一人でやってきましたので、限界が見えていました。このやり方なら他店舗や海外展開も見えてきます。一人では見ることのできなかった高みが見えてきたんです」(岡田さん)

2025年2月20日「かいか」がオープン
こうして東京・中野に「かいか」がオープンした。店長の金子政春さんは岡田さんの思いを継いで大変おいしいラーメンを作っている。早くも話題の新店として多くのラーメンファンが訪れる人気店になっている。
岡田さんも横でサポートをしながら、無化調、自家製麺という「もつけ」時代からのこだわりは変えずに、こだわりの一杯が完成した。
「今まで個人でやっていた時代は1日150杯がマックスだったので、これからはもっとたくさんの人に食べてもらうためにはどうしたらいいか考えていきたいと思います。まずはこの店で味と接客を磨いて、地域の人たちから愛されることが大事だと思っています」(岡田さん)
個人店の事業承継については今後のラーメン業界の大きなテーマとなっている。「家業」という考え方が薄れてきたうえに、働き手も不足していて、うまく承継できたお店は多くない。その中で、どう自分の味を残していくかというのは大きな課題だ。
「捉え方はその人それぞれだと思います。職人には固い人が多く、『俺の代で潰してもいいんだ』と思っている人が多いです。しかし、それだけではなく視野を広げてみてもいいのではと思います。
お店を続ける以外の選択肢が広がるのは大きな魅力です。いい腕があるなら他に生かしてほしい。そのまま閉店してしまうのは実にもったいないと思います」(岡田さん)
腕のある職人の一杯を後世にまで残す工夫。世襲制や修業以外の新たな選択肢を作っていくことがこれからの流れになるかもしれない。



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