ホープ軒本舗(ほーぷけんほんぽ)
★お店の情報★ (デジカメ画像)
住所・電話 武蔵野市吉祥寺本町1-14-12 (0422-20-0530) 道順 JR吉祥寺駅 北口を出てサンロードを入って、小路を右折した左手。銀行の裏手になる。徒歩2分。 [地図] 駐車場 なし 営業時間 11:30~翌3:00、日曜 11:30~翌2:00 定休日 なし 席数 カウンタ 15席 メニュー 中華そば 600
チャーシューメン 850
ニンニク(S) 50・(W) 100
モヤシ増し +50
味付玉子/ゆで玉子/生玉子 各50
味付メンマ 150
[1998/11/17]
中華そば 550その他 屋台での創業は1935年(昭和10年)頃、店舗での創業は1978年(昭和53年)で、東京豚骨ラーメンの草分け的存在。創業者は難波二三夫氏、二代目は長男の難波公一氏、現・店主は公一氏の息子、難波忍氏
店内禁煙。前金制。[公式サイト] [通販サイト]
BS-TBS「郷愁の街角ラーメン」より
ニンニクは青森県田子産
卓上の「唐華」は、唐辛子をラードで炒め、オイスターソースで風味付けしたオリジナルスパイス
麺は自家製麺、24番角刃沿革
(公式サイトより抜粋)
[ ]は『東京ラーメン系譜学』などの情報を元にコメント
1935年
(昭和10年)貧乏軒として屋台営業開始@錦糸堀(現在の墨田区錦糸町)
現ホープ軒本舗の創業者である難波二三夫(なんばふみお・当時19歳)は、同時期に築地で軽子(荷物運搬を請け負う人足)、三井三池炭鉱で炭鉱夫、沖仲仕(船と陸の荷揚げ・荷下ろしする荷役)、雑貨販売を行う1938年 盛華公司(せいかこんす)店舗開店、難波は中国人になりすまして営業
[『東京ラーメン系譜学』では1948年になっている。第二次世界大戦に出兵、戦後すぐに商売を再開するも、まだ日本的な店名が付けられなかったため、難波氏は中国人・葉(ヨウ)になりすまして、阿佐ヶ谷でラーメン店を開業]1945年 特一番 開店 [日本的な店名が付けられるようになり、盛華公司@阿佐ヶ谷から店名変更] 1947年 ホームラン軒@阿佐ヶ谷 店舗開店
屋号重複のため「特一番」から「ホームラン軒」へ店名変更。
[特一番に勤めていた人が「特一番」を商標登録をしてしまったため]
[ホームラン軒は、吉祥寺コバルト商店街を含めて全盛期には34店舗あった]
15年ほど営業する中で店舗数を拡大するも、戦後復興計画により各店舗の閉店を余儀なくされ、屋台営業で再スタートを切る。
再び吉祥寺に構えた際、一から希望を持ってという意味を込めて「ホープ軒」に改名。
[『東京ラーメン系譜学』では、屋台で再スタートの際に「ホープ軒」と名づけたとある]
都内で103台の屋台を貸し出すフランチャイズチェーン展開を行う。
屋台からは後に
「ホープ軒(千駄ヶ谷)」牛久保英昭氏 1960年創業、千駄ヶ谷は1975年
「土佐っ子」 1970年創業
「ホープ軒(千駄ヶ谷)」からは、
「弁慶」西川総一氏 屋台は1972年創業、堀切の店舗は1985年、浅草店が1993年、門前仲町店が1995年
「香月」穴見勝喜氏 1973年屋台創業、店舗は1975年、恵比寿に1985年1954年 株式会社ホープ軒本舗として法人化 1973年
(昭和48年)難波の長女が「ホープ軒 武蔵村山店」を事業継承
「村山ホープ軒 本店」として営業
[現在の店主は長女の夫 壁勝義氏]1978年
(昭和53年)ホープ軒本舗 吉祥寺店 開店@吉祥寺コバルト商店街
[ホームラン軒@吉祥寺コバルト商店街が店名変更?]
1985年に戦後復興計画のため閉店1979年 ホープ軒本舗 杉並店 開店@東高円寺 (2017年 閉店) 1982年 ホープ軒本舗 大塚店 開店 (2023/2末 閉店) 1984年
(昭和59年)ホープ軒本舗 吉祥寺店 開店@吉祥寺サンロード商店街 1992年 難波の次女 [高橋真奈美氏] が「ホープ軒本舗 阿佐ヶ谷店」を事業継承
「阿佐谷ホープ軒」として営業
★食べたラーメンの情報★
年月日 1998/11/17 実食メニュー 中華そば (550円) 感想 スープは見た目は、やや白めの茶濁で、表面の脂が多めのトンコツ醤油味。見た目よりくどさはなく飲める。味付けが濃すぎないのがいい。ジャンキーな味わい。
麺は普通の太さの縮れ麺で堅め。
具は、チャーシュー、モヤシ、ノリ、ネギが少量。
チャーシューは脂が少なく、ややパサツキ感がある。
モヤシはサッと茹でてあり、シャキシャキしている。全体の評価 ★★(美味しかった)